戦争について

世界を驚かせながら、日清、日露、第一次世界大戦の3大戦を勝ち続けた日本は、パリ講和国際会議で人種差別撤廃の提案をしました。でも白人の国々からは、それでは植民地支配ができなくなってしまって困ると強く反対されて、否決となってしまいました。

 

日露戦争での日本の勝利には、アジア各国、トルコ、イラン、フィンランド、エジプトや東欧の国々の人たちが驚嘆して歓声をあげました。黒人の解放運動にも火がつきました。そして各国の独立運動の原動力にもなっています。

 

日露戦争に限らず、敗戦国とはなったものの、第二次世界大戦の結果、アジアの多くの国々が独立できるようになり、中韓以外は日本の戦いを賞賛しています。

 

歴史に、「もし...」は意味がありませんが、もし日本がロシア戦争に負けていたら、もし第二次世界大戦で日本がアメリカに立ち向かっていなかったら、西洋の東洋支配はその後長く続き、有色人種が白人に虐げられるという状況が長く続いたということが考えられます。

 

こうして日本は、白人の国々と対等に渡り合える有色人種唯一の国として、白人の国々から恐れられるようになり、アメリカはオレンジ計画で日本を仮想敵国としました。

 

そしてルーズベルト大統領・ハルノートによって追い詰められた日本は、軍港であるパール・ハーバーへの攻撃により、約2.400人(民間人約50人)の死者を出すことによって日米戦争を始めました。

 

そしてその大戦は、国際法を無視した広島と長崎の原爆、東京(他)の大空襲によって30万人以上の一般市民を失うことによって終わり、日本は敗戦国となりました。

 

そして日本は世の常である、戦勝国の書く歴史の中に収められてしまいました。GHQによる、東京裁判と称される東京リンチでは、数多くのユダヤ人の命を救った日本の英雄達や、日本流に一切言い訳をしない英雄が一方的に死刑で裁かれてしまいました。

 

東京裁判は、実は理不尽なリンチであったとことは、判事の一人であったインド人のパール氏の発言、および判決文をはじめとして、海外の多くの証人の発言で明らかになっています。

 

当時GHQは、WGIP(War Guilt Information Progran)によって、日本が二度とアメリカに立ち向かわないように、教育方針も含めて様々な手を打ったため、戦後の日本人には誤った認識が植え付けられてしまいました。

 

一部には、敵国から恨まれるようなことをしてしまった心無い日本軍人もいたかも知れません。でも一般的に、日本軍人はいかに厳しく規律があり、しかも敵国に対しての温情が厚かったかは、少し調べれば分かりますので、一度ここから先をご覧になってみてください。

 

日露戦争が起こった1900年過ぎ、列強の欧米白人が地球上のほとんど全ての地域を植民地化して、地球の約84%は西洋人が支配していました。

 

東南アジアを侵略していたイギリス、オランダ、アメリカを追い払って各国独自の国作り計画に大きく貢献した日本は、敗戦したばかりに、戦勝国から、企んで侵略戦争を起こしたという偽りの罪をかぶせられました。

 

そして中国と韓国の2国はその偽りの情報を利用していつまでも日本から資金を引き出し、執拗に日本の立場を弱く、悪くし続けようとしています。

 

事実を知れば、驕る気持ちが起こるのではなく、「勝って兜の緒を締めよ」や、「褌を締め直す」ではありませんが、自然に襟を正して凛とした気持ちになります。

 



 

大航海時代、つまり、西洋人による大侵略時代、日本はタイと並んでアジアで侵略されなかった珍しい国のひとつです。ではなぜ日本は侵略されなかったのでしょうか?

 

大航海・大侵略で西洋人が日本にも現れ始めた頃、日本人は好意を持って受け入れました。良いものなら何でも取り入れてしまう国民性。キリスト教も受け入れました。

 

ところが、アジア大陸の方に目を向けてみると、それは西洋人による侵略の足がかりであることに気が付いたので、国を閉ざしました。でも、その200年以上続いた鎖国も、アメリカのペリーの黒船によって開国することになりました。

 

それでも明治維新を経て、第二次世界大戦で敗戦国となって占領されるまではずっと侵略を免れました。それはなぜでしょうか?

 

その理由にはまず、武士の存在があると思います。名誉心が強く、誇りのためなら死をもいといません。16世紀に日本を訪れたイタリア人のカトリック教会司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノも言っています。

 

「日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。(中略) 国民(武士?)は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服可能な国土ではない」...

 

生 麦事件というのをご存知でしょうか? 時は1862年9月14日、乗馬を楽しんでいる4人のイギリス人が、細い道で島津藩の大名行列とぶつかってしまいました。

 

イギリス人はそのまま進行しようとし、それを見た武士たちは、「無礼者!」と切りつけてしまいました。そして1名が死亡、2名が重症を負いました。

 

その事件は、イギリス人以外の在日外国人にも広く伝わったはずです。大勢の日本人とすれ違うと、切り殺されてしまうということを知った外国人たちは、さぞ驚いたことでしょう。

 

さらに日本人には芸術性の高さ、器用さ、精巧な物を作り上げてしまうという気質があります。鉄砲や大砲は海外から伝わったものではありますが、種子島にたどり着いたわずか2挺の鉄砲から、その10年後には日本に普及してしまいました。

 

つまり、そのような発達したものをすぐに作り上げてしまう技量があります。さらにはそれを改善・改良してしまう。そしてそれが普及する伝達網まで発達しているのです。

 

そして高い学力です。まだ西洋では手づかみで食事をしていた16世紀の中頃に、「国民の大部分が読み書きできる!」と、あのフランシスコ・ザビエルも驚いているほどです。

 

現代では、読み書きができて当たり前なので気が付きませんが、もし読み書きができないと、情報の伝達がかなり難しくなります。話して伝えるしか方法がないからです。

 

大多数の人間に、ある情報を伝える時、もし書面で伝えることができないとすると、大勢の前で話したり、話し伝えていくしか方法がありません。前者の場合は聞こえない、忘れられるという決定的な欠点があり、話し伝える場合は、伝わる情報の正確さが著しく欠けることになります。

 

そして従順という国民性があります。団体行動が得意で、上の命令に従うので、団体として強い存在になるのです。

 

さらには島国という地理的な条件もあります。船が主要な交通手段であった当事、海に囲まれているということが有利に働きます。実際にも日本の歴史において、海に囲まれていることと、自然の猛威で2度も元寇を跳ね返しています。

テシェク エデレム

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